2011年12月30日金曜日

・本気で何かを変えようと思ったら,変化を恐れてはいけないのだ〜問題提起編〜




本当に何かを変えようと思ったら,
まさに,冷静と情熱の両方が必要だ。
頑張ってるだけならそれは手抜きだ。

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「何かをやりたい」ことがある時は,その「何か」以外は,
全て思想を交えずに,ありのまま,リアルに見て行く必要がある。
思想が混じってしまうと,その思想を達成する方に一生懸命になってしまって,
「何か」から離れてしまう。こういうことはよくある。
よくあるというより,そういうことだらけだ。

大学受験を考えてみよう。
受験に受かりたい,という目標のためには,
「ノートをキレイにとる」
「真面目に授業に出る」
ことを頑張るヤツはたいてい失敗していた。
そういう思想は必要ない。

「健康に生きていきたい」というとき,
筋トレやストレッチも思想だ。
それによって身体を痛めたという人も随分いる。
(そもそも,その,「健康」というのも思想だけどね)

必要な事を淡々とやるだけだがこれが難しい。

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「必要な事」というのがなかなか分からないし,
「自分が何かをやりたい」という時の「何か」とは,
具体的な形をとっていない事が多いから,
暫定的な目標としてその「手前」や「周辺」にある,
具体的なイメージを持ってこざるを得ない。
(特に複数で目標に向かって動いていく場合には)

幕末であれば,佐幕か尊王か,
という具体的なイメージを掲げる必要があったように。

だから必然的に「何か」と具体的なイメージとは,
常にずれる可能性があるのだ。

幸せ=家族が仲良く

というイメージを親父がもってしまったがために,
「幸せ」からずれていくという悲喜劇『ありがとう (山本直樹)』は,
辛い。

幸せ=最低限のお金は必要だ
という具体的なイメージをもったがために,
お金に振り回されて日々の生活を台無しにして,
幻想に生きている人はそこら中にいる。

先述の通り,
「何か」の他に暫定的に具体的なイメージを掲げざるを得ない以上,
それは必ず「何か」からずれる。

大事なのは,その具体的なイメージが,やりたい「何か」から,
ずれているかもしれない,という感度である。

冷静でいなければいけないというのはそういうことで,
具体的なイメージは常にずれる。あらゆる理由でずれる。
1人でやっていてもすぐずれるが,人が集まったらもっとずれる。
特にいい子ちゃん・真面目ちゃんが集まったら,
一瞬でずれる。日本では「いい子」「真面目」は,
「融通のなさ」「変化のなさ」に耐えられるという意味だからだ。
具体的なイメージを喜んで追いかけてしまう。

だからウォッチし続けなければならない。片時も油断できない。

「何か」からずれたな,と思ったら,積極的に朝令暮改だ。
その具体的なイメージをすぐに変えなくてはいけない。
決して「何か」に近づけない。
具体的なイメージの方に引っ張られていってしまう。
玉砕のために情熱を燃やす事になる。

どうやって冷静にウォッチするか,これはトレーニングだが,
コツはある。僕はこれをKJ法とフェルデンクライスから学んだ。
主にKJ法だ。

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ここから先は,明日。今日のところは,
ここまで。大掃除に戻ります。

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