2011年12月19日月曜日

・「長所」なんてウソだからな。その2




「頼まれもしないのについついやってしまっている事は?」
「過去10年間に,結局何をやっている事が多かった?」

等と。すると,いわゆる長所もいわゆる短所も,
あるいはどうでもいいとされることも出てくる。

その中に,
どんなにつまらないものやネガティブなものでもいいから,
他の人はあまりやっていないものを探す。
群を抜いているようなものがあれば理想的。



そのままズバリ「他の人よりも突出しているところは?」
と尋ねるのもいいが,これだと,
いわゆるイイところばかり出てくる可能性がある。
繰り返すが,これは”いいこと”である必要はない。
くだらなくても,駄目なところでも何でもいい。
ずっと寝てる,とか,マンガばかり読んでる,とか,
何にも興味がなくてすぐ飽きちゃう,とか。
とにかく他の人がやっていないようなことだ。
あるいは,量がすごい,ということ。

これを「クセ」と呼ぼう。「特徴」でもいいが,
それだと先ほども書いたように,
いいことばかり思い浮かべようとしてしまいがちだからだ。

クセが運良く見つかったら,次の段階だ。

クセを,他人にとって有用なものに変えられないかと考えてみるのだ。

ここで遅ればせながら「長所」というものを定義しよう。
「長所」とは,

(1)他の人と比較してその能力,性質の規模が大きく
(2)社会的に(あるいはその人の周囲の人に対して)有用なものであること

である。誰でも持っているようなものなら,長所にならないし,
社会的に不要なもの,害になるようなものも,長所とは言われない。
誰もがイチローのように打てるなら長所ではないし,
玉を棒で打つという行為に誰も興味も関心も持っていないなら,
これも長所と言わない。

であるから,その人のクセ(1)が,
(2)を満たすようにすればいいのだ。

くどいくらいに何度も繰り返すが,
多くの人は,長所,と呼ばれているものを自分の中に探そうとする。
でもそんなものは,元々誰かが「長所」という分類項目の中に,
割り振ったものを探すだけの作業だし,見つかったとしても,
それが得意な人は既にいるのだ。人生それでいいのか。

本当は,長所も短所もないのだ。
他の人よりも断然程度が”違う”部分があるだけで。
それさえ探し出せれば,そしてそこに自分で価値を見出せたなら,
それを長所にも変えていく事ができるのだ。

なかなかこの点が分からないし,
分からないからこそ,みんな苦しむわけだけど。

みんな大好きなスティーブジョブズだって,
放っておいたらタダのいかれた偏屈な,
マリファナ好きなおっさんに過ぎなかったのだ。
(よく知らないけどね)




ジョブズの,最もすごい発明は,iPhoneやMacではない。
その偏屈性(1)を,
世の中にとって有用だと思うものを創り出す道具(2)へと変化させたことだ。
つまり,自分のクセと,世間の価値観との接点を発明したのだ。

iPhone が開発されたことより、
あれだけクセのある人が社会との接点を持ってやっていける、
ということを見せてくれたことの方が,
人の生き方としては意味がある。
特にクレイジーな人々にとっては意味がある。

岡本太郎がかつて「人生は芸術だ」と言ったが,
自分のクセと社会との接点を発明していくことこそが,
単に,昨今ブームの「自分らしくある」ことや,
「社会にとりこまれて」自分を失ってしまうことよりも,
はるかに難しくスリリングで,しかし人生をかけた創作活動である。

何だか持って回ったような小難しい言い方になっちゃったな〜。
来たれ,若人!


----最後の質問はこちらでした。

【質問5】
自分にはハーモニー体操を指導していく指導者としての
資格があると思いますか。なぜそう思いますか?

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