トレーニングコースの技術面の指導を
お願いしているのが、若狭さんである。
若狭さんは僕がフェルデンクライスを始めた時の先生で、
今もたびたびレッスンを受けているし、
何かで困った時にはアドバイスをもらっている、
そんな関係だ。
なのでトレーニングコースをやる時には、
是非とも技術面で僕の未熟なところを補ってもらおう、と、
熱心にお誘いしたのである。
今日は『思考のための補助線』の内容の確認をしてもらった。
若狭さんが、下記を見て、、、、
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後半(10月〜11月)
:指導することで理解を深める。指導することが楽しくなるプロセス
仲間同士で実際にレッスンを指導します。
恥ずかしさや「失敗したらどうしよう」という不安、「失敗しちゃった」という焦り、
等が、実践を繰り返すことによって薄れていき、楽しめるようになってきます
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こう言ったのだ。
「不安とか焦りとかは薄れていくことはないでしょ。カット」
若狭さんは、思わずひざを打ってしまうようなことをサラッと言う。
で、こう変わった。
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恥ずかしさや「失敗したらどうしよう」という不安、「失敗しちゃった」という焦り、
等が、実践を繰り返すことによって、楽しめるようになってきます。
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だよね〜、という感じである。
不安も焦りも楽しさの要素なんだよね、確かに。
不安も焦りも楽しさの要素なんだよね、確かに。
若狭さんはそういう自分の中の揺れ動きというものとも、
丁寧に付き合ってきたのだなぁ、と思う。
そしてそれを隠さずに話してくれる。
気前がいいなぁ、と思う。
丁寧に付き合ってきたのだなぁ、と思う。
そしてそれを隠さずに話してくれる。
気前がいいなぁ、と思う。
栞は、本日、夜が明けたら、参加申し込みされた方に発送します。
(ご住所が書いていなかった方には、別途メールします)
==ところで==
若狭さん・・・・という呼び名について。
コースを主催する立場としては、日本的には、
お金を払ってコースに参加してくれる人に向けて、
「若狭」と呼び捨てにするべきなのだと思うが、
呼び捨て、とか、何かそういうの嫌だ…
そんなわけで、なかなか定まらない感じです。
ま、いいよね。
こんにちは〜。
返信削除以前勤めていた共同保育所では子どもも父兄も先生とは言わずに「〜さん」と保育士を呼んでいました。最初「えっ・・」と馴染みのない感じがしたが、もっと深い社会習慣というもの以前の段階で、人として(小さくても人格あるものとして)「・・さん」という言葉には人の尊厳とそれに対する敬意があって、自然ですてきな響きがあると思いますよ〜。